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終戦記念日
1枚の写真が、見る者に背景や凄さを想像させる。言葉より現実味をおび、一瞬にして心に焼き付ける。忘れてはいけない過去。戦争の傷跡や爪痕は、何十年経った今でも消える事はない。平和であり続けたいと祈る一方、前に進む為に直視しなきゃいけない過去もある。

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青い空の下、建ち並ぶコテージに見えます。しかし、ここはイラク。米軍のキャンプ場です。今もそこにいて、武器を持ち、緊張の日々を送る友人が送ってくれました。彼は家族思いの普通の人です。

神風 特攻隊員についてのサイト。彼等が残した遺書や手紙等があります。






戦争体験者が集まる、「戦友会」のご旅行の宴席に、コンパニオンとして伺いました。

会長さんは笑顔がとっても素敵な方。
終戦後、4年間シベリアの収容所で捕虜となっていた話をして下さいました。
「4年間と言ったらオリンピックが終わって、
次のオリンピックまで…じゃないですか…そんな長い間…」と言うと、
会長さんは「そうだよ、零下30度、冷蔵庫より寒い所に1万人いたんだよ」と。

「Cocoちゃん、朝起きてまず何をすると思う?」と質問され、
「そうですね…点呼でしょうか?」
「墓穴を掘るんだよ…朝起きるとね、20人ぐらい凍死してるんだ…
だから彼等の墓穴を掘って、それから板を敷いて焼いて…
それが毎朝の仕事だったんだよ」

収容所生活が3年過ぎたある日、
「一緒に帰ろう!」の一心で一緒に頑張ってきた会長さんの親友が、
朝起きたら冷たくなっていたらしい。まだ23歳。

「もうねCocoちゃん、俺泣かなかった…いや、泣きすぎて涙無くなっちゃったんだ…」

会長さんは親友の布団をたたもうと枕をどかすと、枕元から一枚の写真が出て来た。
亡くなった親友さんが結婚を約束していた許嫁さんの写真…。
毎日毎日彼女の名前をこっそり呼んでから寝ていたという親友さんだったとの事でした。

規則で遺品は没収という中、
会長さんは「ごめん!汚いけど少しここでガマンしてね」と写真を褌の中に入れ、
急いで墓穴を掘り、板の上に草を敷き、その上に親友を寝かせ、
火をつけたと同時に見つからないように、
親友の手の中にいいなずけさんの写真を入れてあげたそうです。
親友の体が燃え盛る中、手の中にしっかり写真が入るようにしたため、
会長さんの手には火傷の跡がありました。

「ご遺族に持って帰ろうと思ったけど、ヤツがきっと寂しがると思ったからね」

こういうお話を会長さんは、時々遠くを見ながら終始笑顔で語ってくれた…。

「それで…その後許嫁さんはどうされたんですか?」と聞くと・・・

「Cocoちゃん、俺はビックリしたよ。
その子ね、僕が帰って全部話した後も、ずーーっと彼だけを想ってて、
未だに一人で生きてるんだ。
”結婚したら真っ赤な金魚を飼おうね”って二人で約束してたらしく、
アイツが死んでから今まで…54年、小さな水槽に金魚を2匹飼ってるんだよ…」

会長さんにも結婚を誓った相手がいたらしいです。
しかし、1週間に1通しか手紙を書いてはいけなかったらしく、
亡くなった仲間から頼まれた相手に手紙を出したらもう書けなくて、
そうこうしているうちに会長さんの彼女さんは「もう便りがないから」と、
親の決めた相手と結婚してしまったそうです。

「今はメールや電話があって、それは便利になったと思う。
でもねCocoちゃん、僕等の時代だって熱かった。
人を想う気持ち、生きる事への執着心はみんな持っていたんだよ。
僕はね、日本に帰って来て決めたんだ。
亡くなった仲間達が僕を生かしてくれたのだとしたら、
僕は精一杯笑って人生を送って、
それから美味い酒を持ってみんなに会いに行くつもりなんだ…。
ごめんね、こんなおじいちゃんの話、退屈だったね…さ、飲みましょう!」

刻まれた皺が笑顔にマッチしていた。
私の笑顔なんて足元にも及ばないけど、
精一杯時間まで笑顔で勤めさせて頂きました。

心の底から笑顔でいられる人ほど、
いろんな物を見て、背負って来てるんだなと強く思った時間でした。

そして、別のお客様。
「よかったらお歌如何ですか?」と言うと、
周りが「彼はカラオケは歌わないんだよ~~」と言うので、
「じゃ、お喋りしましょうね?」と言うと、
「…Cocoちゃんの知らない歌、歌ってもいいかな?」と言いました。
「どうぞどうぞ、何がよろしいですか?」と聞くと、
「その前に年寄りの戯言だと思って少し話を聞いてくれませんか?」と。

その方は、特攻隊に関連する部隊に所属していて、
毎日「爆弾と片道だけの燃料を積んで飛び立つ彼等」を見送り、
出発の朝、別れの杯を交わし、昨日まで笑顔でいた「仲間達」が飛び立ち、
地上に残った人が手を振ると、機体を左右に揺らして「バイバイ」をしてくれ、
それをもう2度と見たくない、今日で最後にして欲しいと思いながら過ごしたそうです。

しかし終戦直前、もう敗北だと分かっていてもそれは続けられ、
最後は整備も点検もしていない練習機に爆弾を積んで、
飛行経験が少ない人もどんどん飛ばされるようになった・・との事でした。

「御国のために死んで参ります」と言いながらも、
「もう一度お母さんに会いたい」「妻(恋人)に会いたい」
「家に帰りたい」という本音を聞いていたおじいちゃまや整備関係者は、
<見つかったら懲罰・軍事裁判覚悟>で、
燃料を片道分ではなく、「帰って来れる分」多めに入れて見送りましたが、
帰って来た飛行機は一機もなかったそうです。

そんな話を聞いた後、おじいちゃまが初めてカラオケを歌う曲に選んだのは、
【加藤隼戦闘隊】でした。もちろん私は歌ったことはありません。
でも・・この歌のモデルになっている加藤さんがどのような方で、
私の家のお墓と同じ墓地に眠っている事は知っていました。

おじいちゃまとステージに上がり、肩を組んで一緒に歌いましたよ。
歌詞が出る画面が当時の特攻隊の様子だったのでちょっと涙ぐんでしまったけど、
私は仕事中。おじいちゃまの歌を真似する形で元気に歌いました。

歌い終わるとおじいちゃまは私に敬礼をして下さいました。

席に戻ると、今度はおじいちゃまのいた部隊の歌を唄ってくれました。
とてもいい歌詞なので書き残そうと思ったら、
「Cocoちゃん、この歌を戦後に唄うのはこれが初めてなんですよ。
でね、これで最後にしようと思うんです。
だから歌詞は心の中に閉まっておいて下さい」と・・。

おじいちゃま達に、何で私にそんな話をしてくれたのか聞きましたが、
「どうしてかわからん」だそうです^^;
by coco-picture | 2004-08-15 11:12 | プライベート
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